●グループBとは?
グループBとは、FIA/FISAの定めた競技用車輌規則(レギュレーション)のひとつで、1983年から1986年までのWRC(世界ラリー選手権)で主役を演じたマシン(グループBは1982年から開始されたが、同年に限り旧グループ4も出走できたため、完全なグループB元年は1983年から)。連続する12ヶ月間に200台以上生産すれば認可(ホモロゲーション)が受けられることから、市販モデルとはまったく無縁のラリー用スペシャルマシンを開発することができた。そのため、各メーカーが総力を挙げて開発したグループBカーには、当時の先端技術が惜しみなく投入され、メーカーごとの個性が色濃く表れている。主なメーカーは、アウディ、ランチア、プジョー、オペル、ルノー、トヨタ、日産、ダイハツ、オースチン・ローバー、フォード、シトロエンなどだが、ポルシェやマツダなども参加していた。
●グループB時代のWRC
フロントエンジン+フルタイム4輪駆動のアウディ・クワトロと、ミドシップエンジン+後輪駆動のランチア037ラリーとの対決で幕を開けたグループB規定のWRCだったが、ミドシップ・ターボエンジン+フルタイム4WDという両車のメリットを合体させたプジョー205ターボ16の台頭と、オースチン・ローバーやフォードなどの参戦により、一気に群雄割拠時代に突入。ついには、スーパーチャージャー+ターボチャージャー/ミドシップ+フルタイム4WDという究極のスペックを備えた最終兵器、ランチア・デルタS4も登場し、WRCは未曾有の総力戦が展開された。
当時のグループBラリーカーのパワーは500馬力近くあり、パワーウェイトレシオはps/2kg以下。0-100km/h加速では、当時1000馬力といわれたターボF1マシンを上回る加速力を持っていた。そんなパワフルなマシンが、グラベル、ターマック、アイスバーンなどのあらゆる道を豪快に走るのだから、面白くないはずがない。人気は絶頂に達していた。
だが、モンスターマシンの百花繚乱となった1986年に悲劇が起こる。第3戦のポルトガル・ラリーで、地元のヨアキム・サントスが駆るWRC2戦目のフォードRS200が観客の中に飛び込み、死者4名を出すアクシデントが発生。さらに第5戦のツール・ド・コルスでは、トップを独走し2位とのリードを広げていたランチアのエース、ヘンリ・トイボネンがコースアウト、崖下に転落し、ナビのセルジオ・クレストともに死亡するという痛ましい事故が発生。この事故の翌日、モータースポーツを管轄するFISAは、1986年いっぱいでグループBカーによるラリーを終了し、1987年からはグループAでラリーを行うという発表を行った。その結果、グループBは、1983年から1986年のわずか4年で幕を下ろすことになった。
●なぜ、今グループBなのか?
このように、あまりにも速くなりすぎたグループBカーは姿を消したのだが、その後のグループA、そして今日のワールドラリーカーは、すでにグループBを超える速さでWRCを駆け抜けている。だが今日、4WD車がWRCの主役になっているのも、また我々がフルタイム4WDの恩恵に授かることができるのも、ルーツを辿れば、アウディ・クワトロの存在とグループBラリーカーの活躍があったからこそ実現できたことである。それに1980年代半ばの自動車業界に見られた世界的なパワー戦争時代を象徴するグループBカーの迫力ある走りは、WRCの伝説として、これからも語られつづけるに違いない。
さらに、グループBカーのロードゴーイングモデルは、まさに「勝つ」ためだけにこの世に生を受けたコンペティション向けの純粋なホモロゲーション・スペシャルとして、その輝きを失うことはないだろう。一般ユーザーに市販したそれらの車輌はもちろんナンバーを付けて公道を走ることができるし、もし金銭的余裕があるなら、自分で所有することもできるのだ。WRC史上、もっともパワフルなモンスターマシンを公道で走らせることの歓びは、ラリーファンならずとも格別のはずだ。
誰でも手軽に高性能を安全に手にすることができる現代だからこそ、高性能だが手強く乗りこなすのが困難なグループBカーの硬派な存在がより際立つのである。
"グループBマニア" は、そんなグループBカーの偉大な功績を伝えるため、21世紀に誕生したのです。